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 Area  ビル・クリントン 大統領 】
Area 2000年大統領選
 ビル・クリントンは、1946年8月19日、アーカンソー州のホープという小さな町で 生まれた。父親の名前にちなんで、ウィリアム・ジェファーソン・ブライス三世と 名づけられた。父親のウィリアム・ジェファーソン・ブライス二世は、息子が生ま れるわずか3か月前に自動車事故で亡くなった。母親のバージニア・キャシディ・ ブライスは、彼女自身と生まれたばかりの子供の生活を支える道を探さねばならず、 看護婦になるべくその勉強のために、ルイジアナ州ニューオーリンズに移った。ビ ル・クリントンは、ホープの母方の祖父母の元に残ったが、そこで大勢の親戚の愛 情と援助に恵まれたことが、彼の生い立ちに大きな影響を与えた。

 祖父母のエルドリッジとイーディスのキャシディ夫妻は、彼に強い価値観と信念 を教えた。二人はホープの町の近郊で小さな食料品店を経営しており、当時は人種 差別法があったにもかかわらず、人種を問わずに誰とでも掛売りで商売をした。二 人は小さな孫に、人間は皆、平等に創造されたこと、肌の色で人を差別してはいけ ないことを教えた。ビル・クリントンは、この教えを決して忘れなかった。

 1950年、彼が4歳の時、母親が看護婦の資格を取ってニューオーリンズから戻って きた。その年、彼女はロジャー・クリントンという自動車セールスマンと再婚した。 ビルが7歳の年に、一家はアーカンソー州ホットスプリングスに移った。ホットスプ リングスは、天然の鉱泉と美しい景観、そして競馬場で有名な町で、ホープより大 きく、雇用の機会も多かった。ロジャー・クリントンは、彼の兄弟が経営する自動 車ディーラーのサービスマネージャーとして、それまでより給料のいい職に就き、 バージニアも麻酔担当看護婦の職を見つけた。1956年には、ビルの異父兄弟、ロ ジャー・クリントン・ジュニアが生まれた。この弟が学齢に達した時、ビル少年も 名字をブライスからクリントンに正式に変更した。

 1960年、ジョン・F・ケネディが大統領に選出された。その2年後、高校3年生の ビル・クリントンは、若者のためのリーダーシップ会議「ボーイズ・ネーション」 の参加者に選ばれ、ワシントンDCに招待された。「ボーイズ・ネーション」の少年 たちと「ガールズ・ネーション」の少女たちはホワイトハウスに招かれ、ケネディ 大統領と会見した。ビル・クリントンは、ローズガーデンで少年少女の列の先頭近 くに立ち、ケネディ大統領と握手をした。この出来事は、彼の少年時代で最も印象 深い、貴重な体験となった。それ以来、彼は、自分も大統領になって米国民の生活 をより良くしたいと考えるようになった。

  その同じ年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が、ワシントン DCのリンカーン記念堂の下で、歴史に残る「私には夢がある」の演説をした。この 演説をテレビで見たビル・クリントンは、キング牧師の言葉に深く感動し、その内 容を暗記してしまうほどだった。彼は、キング牧師の明確なビジョンを伝える才能 と、共通の目標に向かって人々をまとめる能力に感嘆した。キング牧師はビル・ク リントンのヒーローのひとりとなった。

 こうした指導者たちの業績に触発されて、若きビル・クリントンは学業にも課外 活動にも懸命に取り組んだ。所属する教会では、資金集めやチャリティ・イベント を計画した。そして、人と協力して何かを成し遂げること、よき市民であることの 大切さを学んだ。余暇には読書を楽しみ、『銀の聖餐杯』(仮題;原題はThe Silver Chalice)、『モヒカン族の最後』(原題はThe Last of the Mohicans)、『聖衣』 (原題はThe Robe)、『黒馬物語』(原題はBlack Beauty)などを愛読した。

 サクソフォンの演奏もビル・クリントンのお気に入りの趣味だった。音楽が大好 きな彼は毎日練習し、ジャズ・アンサンブルで演奏した。毎年夏には、オザーク・ マウンテンの音楽キャンプに参加し、その努力が実って、校内一のサクソフォン奏 者となり、州のバンドの第一サクキソフォン奏者の座を勝ち取った。

 ビル・クリントンは、大学進学にはお金がかかるが、自分の目標を達成するには 大学教育が必要なことを知っていた。学業における努力と音楽の才能のおかげで、 多くの奨学金を受けることができた彼は、それらの奨学金と政府の学資ローンの助 けを借りて、ワシントンDCのジョージタウン大学に入学することができた。ジョー ジタウンを選んだのは、優秀な外交官養成講座があったからである。また、米国の 首都で教育を受けることにも大いに魅力を感じた。

 大学で国際問題を専攻した彼は、在学中にアーカンソー州選出のウィリアム・フ ルブライト上院議員の事務所でインターンとして働き、政府がどのように機能する のか、また政治家とはどういうものかを学んだ。ビル・クリントンは、フルブライ ト上院議員の業績と信念を尊敬した。

 1968年、大学を卒業したビル・クリントンは、イギリスのオックスフォード大学 で学ぶことのできるローズ奨学金を得た。オックスフォードに留学した彼は、政治 学を学び、ラグビーを楽しんだ。米国に戻ってからは、エール大学の法律大学院に 入り、そこでも努力を続けた。政治への関心を持ち続け、コネティカット州の上院 議員選挙運動に参加した。また、エールでは、将来妻となるヒラリー・ローダムと の出会いもあった。

 1973年、ビル・クリントンは法律大学院を卒業し、アーカンソー州に戻って同州 ファイエットビルのアーカンソー大学で法律を教えた。そこでは、いずれ政治家に 立候補するという目標に集中することができた。1974年、その最初のチャンスが訪 れ、ビル・クリントンは共和党の現職下院議員、ジョン・ポール・ハマーシュミッ トに対抗して出馬した。結果として選挙には敗れたが、その過程で政治について多 くを学び、また生涯の友となる人々と出会うことができた。ヒラリーも、選挙運動 を応援するためアーカンソー州に移り、同じくアーカンソー大学で教鞭をとった。 二人は1975年10月11日に結婚した。

 1976年に、ビル・クリントンはアーカンソー州司法長官に選出された。そしてそ の2年後に、32歳の若さで合衆国最年少の州知事となった。ビル・クリントンは州の 教育制度の改善と道路整備に力を注いだ。1980年2月27日には、クリントン夫妻に長 女チェルシー・ビクトリアが生まれた。夫妻は、この日を生涯で最も幸せな日と 語っている。

 その同じ年、再選を目指したクリントン知事は、接戦の末、共和党のフランク・ ホワイトに敗れた。まだやるべきことが残っていると考えたクリントンは、次の知 事選に民主党候補として再出馬した。州内各地を回り、有権者のニーズに応えるこ とを約束した彼は、1982年11月、再び州知事に選出された。

 クリントン知事は、再び州の教育改革を最も重要な目標に掲げ、教員の給与を上 げるとともに、3年生、6年生、8年生の学年修了後に試験を行う制度を導入した。ま た、親が子どもの教育に参加することを奨励した。クリントン知事が定めた新しい 教育基準は、アーカンソー州の子どもたち全員が、居住地域の規模や貧富の差、あ るいは家庭の年収に関係なく、質の高い教育を受けられることを保証するものだっ た。

 1986年8月から翌年8月まで、クリントン知事は全米州知事協会の会長を務め、そ の間、全米の州知事をまとめ、福祉制度と教育制度の改革を目指した。

 1991年の秋には、米国には新しいビジョンと計画を持つ人材が必要と考えたクリ ントン知事は、大統領選出馬を決意していた。自分には、米国をよい方向に変える ことのできる経験と最良のアイデアがあるという自信もあった。彼は、医療保険制 度を強化し、学校制度を改革し、特に経済を成長させ雇用を創出することを目指し た。クリントン知事は、自分のメッセージを広く国民に伝えるために、全米各地を くまなく訪れ、集会場で市民とひざをつき合わせて話し合い、さまざまなトーク ショーにも出演した。

 長い予備選挙を経て、クリントン知事は民主党の大統領候補に指名された。クリ ントンは、テネシー州選出のアル・ゴア上院議員を副大統領候補に選び、ともにバ スに乗って国内をまわり、国民の不安や将来への希望に耳を傾けた。二人の選挙運 動は、「国民第一」をモットーとし、国民がアメリカン・ドリームを持ち続け、中 産階級が希望を取り戻し、子どもたちに未来を与えることを目指した。

  1992年11月3日に行われた大統領選挙は、記録的な高い投票率となり、ビル・ク リントンが第42代合衆国大統領、アル・ゴアが第45代副大統領に選ばれた。米国を 変えようとする二人の努力が、国民を結集させたのである。

 クリントン大統領は、これまでの生涯を通じて、人々により良い生活を与えるべ く努力をしてきた。彼にとって、「ホープ(希望)」とは、生まれ故郷アーカン ソー州の小さな町の名であるだけではなく、米国民の誰もが自分の夢を実現する機 会を持てるような社会をつくるための努力を象徴する言葉なのである。

                                       (1997年4月現在) アメリカ大使館 広報・文化交流部資料
クリントン大統領 & その疑惑
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