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| 往時を忍びて幾星霜、天下分目の関ヶ原合戦西軍の将、豊臣家五大老の筆頭、 備前美作(岡山県)四十七万石の領主宇喜多秀家公は敗れてのち、薩摩の島津家(鹿児島県)に身を寄せ、 同家に塁の及ぶことを憂慮し、駿洲久能山(静岡県)に蟄居、徳川幕府の命により死一等を減じられ、 慶長十一年(1606年)四月 三十四才の若さにて長男秀高・次男秀継の他家臣十名と共に八丈島配流の身 となるが、最愛の妻豪姫(前田利家の娘)を伴うことは許されず、 在島生活五十年赦免に浴することなく、明暦元年(1655年)十一月二十日八十四才の生涯を閉じる 秀家卿が没して三百四十二年、その秀家公が築いた岡山城が築城四百年を迎えるに当たり、 ここに悲愁の将、秀家公と豪姫の碑を建立する。 平成九年十二月吉日 |
| 宇喜多秀家の墓 宇喜多秀家 関ヶ原の合戦 関ヶ原の合戦、秀家陣跡 |