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三宅島 】
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島 魂
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三宅島復興・生活再開へ、帰島第1陣が到着
2005.02
4年5か月にわたり全島避難を続けてきた東京都三宅村(伊豆諸島・三宅島)の
島民62人を乗せた帰島第1陣の定期船が2日午前5時、三宅島に到着した。
1日午後3時の避難指示の解除後、島内で火山ガス濃度が基準に達し、発令され
た警報や注意報は2日午前9時までに8回。島面積の約45%への立ち入りが制限
され、ガスマスクの携帯が義務付けられるなど多くの制約の下で、火山ガスとの共
生を前提とした、島の復興と生活の立て直しが始まった。
前夜、東京・竹芝桟橋を出発した船は、悪天候で波の荒れている島西部を避け、
島東部の三池港に接岸。ふ頭では、先行して帰島していた商工関係者や防災関係者
ら約50人が島民を出迎えた。
平野祐康(すけやす)村長を先頭に島民らがふ頭に降り立つと、「おかえりなさ
い」との声がかけられ、笑顔で握手を交わし、帰島の喜びを分かち合った。その後、
島民らは伝統芸能の木遣(きや)り太鼓が響く中、送迎バスに乗り込み、それぞれ
の自宅に向かっていった。
一方、平野村長は、そのまま、臨時村役場の置かれている村立阿古中学校に向か
い、午前8時半、職員と一緒に、避難中に亡くなった島民に1分間黙とうをささげ
た。そして、職員に「これからは、島民との対話を重視した行政運営をしたい。
よろしくお願いします」と訓示した。
◇
帰島第1陣を出迎えたのは、火山ガスだった。島民が降り立った島東部の三池
港は、火山ガスの高濃度地区にあり、2日午前5時には、1から4まである火山
ガス濃度の基準のうち、下から2番目のレベル2を観測。周辺には、二酸化硫黄
の刺激臭がただよい、せき込んだり、すぐにガスマスクを着用する高齢者の姿も
見られた。
気象庁三宅島測候所によると、同日午前3時には、最大瞬間風速29・6メー
トルの強風を記録。朝は気温が4・5度まで下がり、雲が多く雪もちらついた。
火山活動に大きな変化はなく、午前8時現在、白色の噴煙が火口上空100メー
トルまで上がり、南東方向に流れている。
(読売新聞)
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三宅島の噴火の特徴は、地震から噴火までの時間が短く、溶岩の粘性が薄くて
溶岩流のスピードが速い
1940(昭和15)年 海底噴火 ひょうたん山(標高64m=新東京百景)ができた
1962(昭和37)年 溶岩が30時間に渡って流れ、東北側の海まで達した
赤場暁(あかばっきょう)は1940、1962年爆発の跡
1983(昭和58)年 大噴火 溶岩は西と南3筋に流れた
旧阿古集落は、約400戸の民家、阿古小学校、阿古中学校などが溶岩に飲み込まれて
焼失した
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| 旧阿古集落、新澪池跡、新鼻新山 |
いずれも1983(昭和58)年の大噴火の爪痕がなまなましい |
| アカコッコ館 LINK
OFFICIAL |
三宅島ふれあいセンター 野鳥公園施設 アカコッコは国の天然記念物の鳥 |
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透きとおった海には、魚がいっぱい |
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透明度抜群の三宅島の海 |
★ 印は相互LINK
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三宅島全島避難
2000.09
◇三宅島、全島避難の最終日――「最後の別れでない」
全島避難の期限日を迎えた三宅島では4日午前8時、島の警察官や消防団員ら約80人が
島北部の神着地区など5地区の駐在所に集まり、住民への島外避難を伝えるパトロール
を始めた。3日まで東部の三池港に着岸していた東海汽船の定期船は、高波のため4日は
西部の阿古港(錆ケ浜港)から東京・竹芝桟橋に向けて午後2時50分に出港する予定。
定期船は全住民が乗り込むまで待機する。
灰色の火山灰に覆われた島はすでに大半の住民が避難し、時折、最後の避難準備に追
われる数人の住民の姿が見えるだけ。泥流や火砕流でなぎ倒された樹木が無残に横たわり、
灰を含んだ浜風が吹き荒れた。
東部の坪田地区では午前8時半過ぎ、坪田駐在所前に警察官や消防隊員ら約25人が5班
に分かれ、車や徒歩で担当地区の家庭を巡回した。留守を確認したり、住民に定期船への
乗船を指示した後、「施錠確認」のステッカーを次々と張って回った。
三宅村産業観光課の曽我部宏一係長(43)は「島への愛着が分かるが、これで最後の別
れではない。定期船に乗ってもらうように必ず説得する」と話した。
三宅島の建設会社に勤める木村一也さん(44)は火山灰の除去や道路確保のため、会社
の同僚と島に残る。妻の初恵さん(42)と高校生の息子は東京に避難させたが、「3人でま
た島で暮らすには1年はかかるだろう」と唇をかみしめた。
島の食堂「沙梨」を経営する浜野正則さん(35)は8年前に三宅島を訪れ、海の美しさに
ひかれ、そのまま島に住み着いた。今年5月に自分の店をようやく持つことが出来た。3日
の定期船で妻と2歳の娘を東京まで送り、この日早朝に島に帰ってきたばかり。今後も消防
団員として島に残るが、「しばらく店には戻れない。やはり寂しい」と慌ただしく作業に取
り掛かった。
坪田地区の民宿を経営する筑波幸枝さん(55)はこの日の定期船で島を離れる。早朝から
冷蔵庫に保管していた魚を捨てたり、家財道具を段ボールに詰める荷造りに追われた。
「ずっと島に残りたいが仕方ない。家が残りさえすれば、民宿を再開できる日がきっと来る」
と言葉少なだった。 日経ニュース 2000. 9. 4
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早く島に戻れるように!
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