若き方の獅子が 古き方を負かす。
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1560年5月19日織田信長
(26歳)が約2万の兵を率いて上洛途中にあった
今川義元(41歳)を田楽狭間(桶狭間)に急襲し、
義元を討ち取って、今川勢に壊滅的打撃を与
えた。 |
| 戦の庭で一騎打ち。 |
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かねてから、領地を接してしのぎを削っていた
武田信玄と
上杉謙信は、1561年信濃
の国「川中島の合戦」であいま
みえた。上杉謙信は当時の戦の常識を破り、大将一騎で信玄の本陣に突入。
謙信が信玄に斬りつけると、信玄は軍配で防いだ。
世に有名な謙信と信玄の一騎討ちである。 |
金の器の中で 片目を潰す。 |
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一方、
マルコポーロが東方見聞録で黄金の国と称したジパング
(日本)で、当時
重要な金の生産地は奥州であった。
藤原氏が
中尊寺に金色堂を建てるほどに、
奥州は金に輝く地であった。1567年に奥州の
雄・伊達家に誕生した
伊達政宗は不幸にして幼少期に片目を潰し、
独眼竜政宗と呼ばれていた。
英知に溢れたダテ男の元祖、政宗の誕生があと少し早ければ、
彼が天下を取っていたのではと言う人が多かった。 |
二つの傷一つとなりて
酷き死を死なむ。 |
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1614年
大坂城
を責めた徳川家康は、豊臣方との講和条件の
総壕の埋め立ての解釈
が両者で食い違う中、一方的に壕を全部埋め立てた(
冬の陣)。
1615年4月
豊臣方の再軍備を口実に、
再度大坂を責めた
(
夏の陣)。壕を埋めた上で
大砲で責めたてる家康の周到な執念。
太閤秀吉の築いたさしもの難攻不落の名城大坂城も、家康のこの
2段階攻撃により落城。
秀頼、淀君の母子は隅櫓に火を放ち自害。
秀頼の子、8歳の国松は斬罪。徳川方の残党狩りは激烈をきわめ、
三万を超える首が家康のもとへ届けられたという。この結果、
秀吉が興した豊臣家は二代で滅亡した。こうして元和偃武(げんなえんぶ)と呼ばれる平和の
時代が到来した。
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