本名: ミシェル・ド・ノートルダム
- 父: ジョム(ジャック)・ド・ノートルダム:収税吏兼公証人
- 母:ルネ(レニエール)・ド・サン・レミとの長男
- 父方の祖父:ペイロ(ピエール):ユダヤ系の医学博士
- 父方の祖母:ブランジュ・ド・サン・マリ
- 母方の祖父:ジャン・ド・サン・レミ:ユダヤ人の占星術医師
- 1503年12月14日:ローマ領 サン・レミ・ド・プロバンス、
にて誕生。
幼少のころから祖父ジャン(母方)に、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、
歴史、数学、天文学などの教育を受ける。
- 祖父ジャンの死後、バリー街の両親のもとに戻り祖父ペイロ(父方)の
教育を受ける。天才的なミシェルは14歳の時アビニョンの法王庁大学に入学。
- 1518年〜 アビニョンの法王庁大学にて、哲学、修辞学等を学ぶ。
このころ、地動説を提唱。(
コペルニクス
が地動説を発表
したのは1543年、その約25年前)
1523年:両親が異端弾圧を恐れて、天文学者ではなく医者にしよう
とする。このとき、遠く離れたモンペリュエにある欧州でも指おりの総合大学
に入学 。
1525年:学士号と医師免許を取得。ペストの専門医として開業。
彼独自の方法で治療。 また、ナルボンヌ、カルカッソンヌでも治療を行い、
奇跡の医者と呼ばれる。
1529年:モンペリュエ大学にて3年間の臨床結果の報告。医学博士号取得。
1531年:アドリエット(裕福な ド・ルーブジャック家の令嬢)と結婚。
1535、36年:続けて男子2人が誕生。
1537年:ペストで妻・息子2人を失う。
第一異端審問の裁判所出頭を命じられたが出頭せず。
失意のうちに放浪の旅に出る。旅の途中『カピトーリウム神託集』の存在
を知る。
1544年:『カピトーリウム神託集』、ポラポロンの『象形文字
の解釈 U』などの書物を入手。12月、プロバンス冬期大洪水が発生し、
ペスト大流行。
エクス、マルセイユでペスト治療。
ペストの治療に
『安息香酸』
を使う。さらに、リヨンでもペスト治療。
1547年:リヨンの出版社が『エジプトの神秘』の復刻版をノストラダ
ムスに送る。12月、44歳の時アンヌ・ポンサール(アナ・ポンチア・ジェムレ)
(資産家の未亡人)と再婚。約10年で6人の子をもうける。リヨンの妻の
家の3階を研究室とする。
1550年:『暦』を発行。
1552年:『化粧とジャムに関する概論』出版。
1555年:『予言集』の四行詩の第一段出版。
1556年:王妃カトリーヌ・ド・メヂシから王宮に呼ばれる。
1566年7月2日:痛風の悪化に苦しんでいたが、リヨンの研究室の
ベッドと椅子の近くで死去。享年63歳。
|