【 Area
大化改新
】
たいかのかいしん、むしごひき
| と き | |
できごと |
|
645年6月12日 |
中大兄皇子・鎌足公ら、飛鳥板蓋宮にて蘇我入鹿を誅殺
蘇我蝦夷、自殺。皇極天皇、軽皇子に譲位(孝徳天皇) |
| 646年正月 |
改新の詔を発布 四箇条を示す
皇族・諸豪族の私有地・私有民の廃止
京師・国・郡・里などの地方行政組織の確立
戸籍の作成と班田収授法の実施
租庸調その他の税制の施行
|
大化改元の詔
使者を諸国に遣して、民の元数を録す。仍りて詔して曰く、
「古より以降、天皇の時毎に、代の民を置き標して、名を後に垂る。
それ、臣連等・伴造・国造、各々が民を置きて、情の恣に駆使ふ。
また、国県の山海・林野・池田を割りて、己が財として、
争い戦ふこと已まず。或は数万頃の田を兼ね拜す。或は全ら容針少地も無し。
調賦を進る時に、その臣・連・伴造等、先づ自ら収め斂りて、
然る後に分かち進る。(中略) 方に今、百姓猶乏し。而るを勢有る者は、
水陸を分け割きて私の地とし、百姓に売り与へて年に其の価を索ふ。
今より以後、地売ること得じ。妄りに主と作りて劣く弱気を兼ね拜すこと勿れ」
と。 (出典:日本書紀)
|
| と き | |
できごと |
| 652年 |
最初の班田収授を施行 |
| 658年4月 |
阿倍比羅夫軍、東北へ進出、翌659年蝦夷を平定 |
| 658年11月 |
有馬皇子の謀反 |
| 660年 |
百済滅亡 |
| 661年 |
斉明天皇、中大兄皇子、百済再興軍を率いて九州へ 7月天皇、筑紫で崩御 |
| 662年 |
百済再興軍、百済皇子豊璋を百済に送り王位につける |
| 663年8月 |
白村江の戦い 敗北 |
| 667年3月 |
近江大津宮遷都(〜672) |
| 668年 |
近江令制定 |
| 669年10月 |
中臣鎌足 没、藤原姓を賜る |
| 670年2月 |
庚午年籍(最初の全国的な戸籍) |
| 670年4月 |
法隆寺炎上 |
| 672年6月 |
壬申の乱 |
| 673年2月 |
大海人皇子即位、天武天皇 飛鳥浄御原宮(672〜694年) |
| 684年10月 |
八色の姓(やくさのかばね)制定 |
| 686年10月 |
大津皇子の変 |
| 689年4月 |
草壁皇子(天武の子) 没 |
| 689年6月 |
飛鳥浄御原令(22巻)を施行 |
| 690年9月 |
庚寅年籍 |
| 694年12月 |
藤原京遷都(〜710年) |
| 697年8月 |
草壁の子、軽皇子即位 文武天皇 |
| 698年10月 |
薬師寺完成 |
| 701(大宝元)年8月 |
大宝律令完成 (刑部親王、藤原不比等ら) |
| 708(和銅元)年8月 |
和同開珎発行 |
| 710(和銅3)年3月 |
平城京遷都 |
|
|
|
34 舒明天皇 〜
50 桓武天皇 |
藤原(中臣)鎌足 614〜669
645年、中大兄皇子と協力し蘇我氏を滅ぼし、大化の改新の端緒を作る
内臣(うちつおみ)になり、654年紫冠を授受
669年臨終の際には、天智天皇から大織冠と藤原の姓を賜る
★ 藤原鎌足 ━┳ 定 慧
(中臣) ┣ 不比等 ━━━━━━┳ 武智麻呂[藤原南家祖]━ 仲麻呂(恵美押勝)
┣ 耳面刀自 ┣ 房 前[藤原北家祖]━┳ 永手
┃ ┃ ┗ 真楯 ━ 内麻呂 ━ 冬嗣
┣ 氷上媛 (天武帝女御)┣ 宇 合[藤原式家祖]━┳ 広嗣
┗ 五百重媛(天武帝女御)┣ 麻 呂[藤原京家祖] ┣ 清成 ━ 種継 ━┳ 仲成
┣ 宮 子 (文武帝后) ┗ 百川 ┗ 薬子
┣ 長峨子 (長屋王妾)
┣ 光明子 (聖武帝后)
┗ 多比野 (橘諸兄室)
|
|
|
|
|
|
|
明日香村 |
村オフィシャルサイト |
|
談山神社 |
大化改新発祥の地 藤原鎌足について
紅葉
の名所 |
|
鎌足桜 |
by 千葉県 マキノ・ファーム
千葉・鎌足地区の紹介 |