『徒然草』第216段.最明寺入道
最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、鶴岡(つるがをか)の社参(しやさん)の次(ついで)に、足利左馬入道(あしかがのさまのにふだう)の許(もと)へ、まづ使を遣はして、立ち入(い)られたりけるに、あるじまうけられたりける様(やう)、一献(いつこん)にうちあはび、二献にえび、三献にかいもちひにてやみぬ。その座には、亭主夫婦、隆弁僧正(りゆうべんそうじやう)、あるじ方(がた)の人にて座せられけり。
さて、「年ごとに給はる足利の染物、心もとなく候」と申されければ、「用意し候(さうらふ)」とて、色々の染物三十、前にて女房どもに小袖(こそで)に調(てう)ぜさせて、後につかはされけり。
その時見たる人の、近くまで侍(はべ)りしが、語り侍りしなり。
北条時頼の墓 明月院、旧最明時跡
現、明月院
一帯は時頼公が寂した最明寺の故地。父は時氏、母は安達景盛の娘で
賢母と言われ、徒然草(第184段)にも登場する松下禅尼の次男として1227(安貞元)年
に生誕。1246(寛元4)年19才で五代執権職につく。1253(建長5)年
建長寺を建立
1256(康元元)年11月23日、30才で出家、執権職を長時に譲る。
1263年11月22日、37才の生涯を終える。
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