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源氏系図

  ━ 56清和天皇━━ 貞純親王━━ 源経基━━ 満仲━┳ 頼光━━ 頼国━━ 頼綱━┓
                            ┃   ┏━━━━━━━━━━┛
                            ┃   ┗━ 仲政━━ 頼政
                            ┗ 頼信━━ 頼義━┓
    ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
    ┗┳ 義家━┳ 義親━━ 為義━┳ 義朝━┳ 義平
     ┃    ┃         ┃    ┣ 朝長
     ┃    ┃         ┃    ┣@頼朝━┳━A頼家━┳━ 一幡
     ┃    ┃         ┃    ┣ 義門 ┣━B実朝 ┣━ 公暁
     ┃    ┃         ┃    ┣ 希義 ┗━ 大姫 ┣━ 千寿丸
     ┃    ┃         ┃    ┣ 範頼  (義高と婚約)┗━ 竹御所
     ┃    ┃         ┃    ┣ 全成       (藤原頼経室)
     ┃    ┃         ┃    ┣ 義圓      
     ┃    ┃         ┃    ┗ 義経(九郎判官)
     ┃    ┃         ┣ 義賢━━ 義仲━━ 義高━┛
     ┃    ┃         ┣ 為朝
     ┃    ┃         ┗ 行家
     ┃    ┗━ 義国━┳━ 義重(新田氏)
     ┃     (足利氏)┗━ 義康(足利氏)
     ┗ 義光━┳━ 義業(佐竹氏)
      (新羅)┣━ 義清(武田氏)
          ┗━ 盛義(平賀氏)


 1192(建久3)年8月9日、源頼朝の次男として生誕。母は北条政子。幼名は千幡。
 1203(建仁3)年9月、征夷大将軍となり実朝と改名。
 「金槐和歌集」を撰したことで有名である。
 1219(承久元)年1月27日の夜、右大臣拝賀の式を終え、三代将軍実朝が雪の積もる鶴岡八幡宮の 階段を降りはじめた時、二代将軍頼家の次男、八幡宮の別当の公暁が隠れていた銀杏の大木の陰 から躍り出て実朝に斬りつけ、首を持って逃げ備中阿闍梨の屋敷 (八幡宮の西北、二十五坊旧蹟 近く) に隠れた。
 公暁は捕らえられて殺され、ここに源氏の正統は断絶した。 背後で北条氏、三浦氏が糸を引いたと噂された。
 実朝の首は行方不明となり、葬儀の棺には秦公氏が生前賜った毛髪を遺体とともに 埋葬した。 三浦義村の家臣、武常晴が実朝の首を拾いあげ、波多野忠綱を頼って現在の秦野市 に埋葬したと伝えられる。

源実朝

鶴岡八幡宮・大銀杏   源実朝の墓(大御堂)   源実朝の墓(寿福寺・供養塔)   源実朝の墓(首塚)
大慈寺跡(新御堂)   源実朝をしのぶ 碑   源実朝の歌碑(由比ヶ浜)

山はさけ うみはあせなむ 世なりとも 君ふた心 わがあらめやも    国宝館
大海の 磯もとどろに よする波 われてくだけて さけて散るかも    鎌倉文学館
箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよる見ゆ  鎌倉市役所前

古今夢想 源氏の将軍三人をメインに扱う
鎌倉の生んだ歌人 源実朝 源実朝歌碑建立記念講演 講師・安西篤子氏
千人万首 中世編に源実朝の歌、数十首。