1192(建久3)年8月9日、源頼朝の次男として生誕。母は北条政子。幼名は千幡。
1203(建仁3)年9月、征夷大将軍となり実朝と改名。
「金槐和歌集」を撰したことで有名である。
1219(承久元)年1月27日の夜、右大臣拝賀の式を終え、三代将軍実朝が雪の積もる鶴岡八幡宮の
階段を降りはじめた時、二代将軍頼家の次男、八幡宮の別当の公暁が隠れていた銀杏の大木の陰
から躍り出て実朝に斬りつけ、首を持って逃げ備中阿闍梨の屋敷 (八幡宮の西北、二十五坊旧蹟
近く) に隠れた。
公暁は捕らえられて殺され、ここに源氏の正統は断絶した。
背後で北条氏、三浦氏が糸を引いたと噂された。
実朝の首は行方不明となり、葬儀の棺には秦公氏が生前賜った毛髪を遺体とともに
埋葬した。
三浦義村の家臣、武常晴が実朝の首を拾いあげ、波多野忠綱を頼って現在の秦野市
に埋葬したと伝えられる。
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