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朝比奈三郎義秀

三浦一族
三浦の歴史

朝比奈氏系図

  ━ 50桓武天皇………… 為通━━ 義継━━ 義継━┓ 
    ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
    ┗━┳━ 義明(大介) ━┳━ 杉本義宗━━┳━━ 和田義盛━━┳━ 常盛 ━━ 朝盛
      ┃          ┃        ┣━━ 小次郎義茂 ┣━ 義氏
      ┃          ┃        ┣━━ 小三郎義実 ┣━ 朝比奈三郎義秀
      ┃          ┃        ┣━━ 宗実(実茂)┣━ 義直
      ┃          ┃        ┣━━ 義胤    ┣━ 義重
      ┃          ┃        ┗━━ 義長    ┣━ 義信
      ┃          ┃                  ┣━ 秀盛
      ┃          ┃                  ┗━ 義国
      ┣━ 津久井義行   ┣━ 義澄(三浦介)━━ 義村━━━━━━ 泰村
      ┣━ 芦名為清    ┣━ 大多和三郎義久
      ┗━ 岡崎義実    ┣━ 多々良義春━┳━ 三郎重春
                 ┣━       ┗━ 四郎明宗
                 ┣━ 長井義季
                 ┣━ 森戸重行(杜義行)
                 ┗━ 佐原十郎義連━━━ 盛連━━━━┳━ 経連
                                    ┗━ 盛時(三浦介) 


 朝比奈三郎義秀は、鎌倉幕府初代侍所別当、和田義盛の第三子で、生母は木曾義仲の側室巴御前 であると伝わる。木曾義仲が討たれたあと、巴御前は和田義盛の側室となった。
 義秀は大力武勇の猛者で、1213(建保元)年和田合戦に勇名を轟かせ幾人かの敵をたおしたが 微傷すら負わなかったという。しかし、和田義盛ほか兄弟郎従等ことごとく討たれた後、 いずれかへ姿を隠したと伝えられる。
 安房を経て紀州の太地とか朝鮮に逃れたという義経伝説に似た伝承が残る。
太郎冠者 狂言紹介>狂言演目紹介>鬼山伏 (おにやまぶし) 狂言 「朝比奈」
下野風雲録 栃木県上都賀の古山城に立て籠もったという伝承が残る。
長野原町 応桑の狩宿に伝 朝比奈三郎義秀の墓がある。
行神社 宮城県富谷町。朝比奈三郎という大男が、土を運んで作ったという伝説。
和田の岩門 和歌山県太地町オフィシャルサイト。
印西市 千葉県。朝比奈三郎義秀が築いたとされる小林城。
不老山 澄水寺 島根県松江市。