【 Area
おいらん淵 】
塩山と丹波山の境、鶏冠山(1,710m)の中腹に黒川金山の採掘跡がある。
黒川金山の採鉱は、
甲斐武田氏
が盛んなころ、とくに武田信玄の時代が最盛期
であった。世にいう甲州金は、多くこの黒川金山から産出されたものといわれている。
当時は金山奉行も丹波に置かれ黒川千軒、丹波千軒と称されるほどの大集落があったと
伝えられている。黒川金山跡には、その時代の坑道路や坑夫の住居、作業場の跡が今でも
見られる。
金山の盛時には、採掘坑夫の慰安のため遊女を多く置いたという。ところが長篠で敗れたが
武田家再興を図るためついに閉山となるが、そのおりの遊女たちから金山の秘密が洩れること
を防ぐため、柳沢川の渓谷に宴台を作り、慰安と称してその上で舞いを舞わせた。舞いの最中、
ころをはかり宴台を吊っていた藤づるを切って、宴台もろとも遊女たちを淵へ沈めた。
このことから「おいらん淵」の伝説が生まれた。また、沈められた遊女の数が五五人という
ことから、またの名を「五五人淵」ともいう。
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