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1909(明治42)年に建てられた西洋館。横浜の木造洋館の中でここだけが、
関東大震災での倒壊、焼失を免れた貴重な建物。
山手十番館と隣接敷地内に建ち外国人墓地周辺の景観をひきたたせている。
エメラルドグリーンの壁、白い出窓のバランスが美しい。
1F ワーグマン(イギリス人、日本近代
漫画の始祖、パンチ絵)の「ジャパン・パンチ」創刊号などを展示
2F 外人墓地模型、文明開化に貢献した
人々の資料
山手町247 045-622-1188 11:00〜16:00
無休 200円
1862年、横浜の外国人居留地でイギリス人マンガ家チャールズ・ワーグマンは
『ジャパン・パンチ』という風刺雑誌を発行。またフランス人マンガ家
ジョルジュ・ビゴーも活躍、日本のマンガは西洋風の風刺方法が採られるよう
になり、ポンチ絵という言葉が広がった。
この雑誌を真似て木版による日本最初のマンガ雑誌『絵新聞日本地(にっぽんち)』が
刊行された。。1877年(明治10年)には『団団珍聞(まるまるちんぶん)』
という時事マンガ雑誌が創刊され、初の大量発行マンガ雑誌となる。
1905年(明治38年)には北沢楽天が全ページカラーの風刺マンガ『東京パック』を
創刊し、発行部数は万を越えた。
C・ワーグマン 1832(天保 3). 8.31〜1891(明治24). 2. 8
★明治の漫画家。名は Charles Wirgman。ロンドン生れ。イギ
リス人。陸軍に入り大尉まで昇進し退役。「イラストレイテド・ロンドン
・ニュース」の記者となり中国へ渡り、1856(安政 3)アロー号事件を取材。
いったん帰国後、幕末に来日し、母国ロンドンで刊行されていた "PUNCH" 誌
を模して1862(文久2)年月刊誌 "JAPAN PUNCH" を横浜居留地で1887(明治20)年
まで25年間刊行。「ポンチ絵」の言葉はこの雑誌に由来する。本務のかたわら
洋画技法を教え、門下に高橋由一・五姓田(ゴセダ゙)芳柳らがいる。日本婦人
と結婚し、横浜で没。
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