
信濃の国の住人泉小次郎重衡は執権北条義時を討つために、
和田義直(義盛の子)
とともに
2代将軍源頼家
の子、千寿(千手)を擁して旗を揚げたのは1395(応永2)年
のことであった
越後、伊勢、下総の衆330余名が同時に決起した 企ては事前に発覚し、小次郎は
追っ手を討ち行方をくらませた 泉重衡の乱が口火となり、侍所別当の和田義盛の乱
へと発展した
小次郎のその後は、
川越市
の最明寺縁起には、諸国流転ののち武蔵の国三芳野の
豊田源兵衛を頼り、千寿とともに出家し、1265(文永2)年88才で没すとある
その他の諸説あり
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泉中央公園
須賀神社
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