鎌倉時代の武将、畠山重忠は,源頼朝の忠臣として幕府創設以来、智・仁・勇を兼ね
備えた武将として有名であった。
重忠は1205(元久2)年、わずか134騎で埼玉の菅谷を6月19日発ち鎌倉に向かう途中、
北条時政のだまし討ちにあい、6月22日横浜市旭区周辺で北条義時軍1万騎以上との戦いとなった。
重忠(42才)は無念にも弓の名手愛甲三郎の矢に当たり討ち死にした。
重忠の妻は急を聞いて(合戦の前に長男は鎌倉で処刑されていた
重忠はこの報を聞き、菅谷に報せたのであろう)、
駕籠で駆けつけたが、この地で重忠の戦死を聞き駕籠中で自害。駕籠ごとここに埋葬
された。
すぐ下の浄水場の敷地内にあった竹で囲まれた塚を、1955(昭和30)年に現在の場所に移した。
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