この付近一帯から八幡原にかけての地を牛ケ渕といい
東方は相模川、西方は水田が共に入りこんで狭ばまり、
八王子道を通って南下北上する軍勢をはばむには絶好の
場所だった。
甲斐の武田信玄は、小田原の北条氏康を討つべく、永録
12年 8月24日甲府を出立し、25日相模川を越え
26日大神・田村・八幡・平塚に陣をとった。この間、
北条方の軍勢は、真芳寺に集結し、この地に打って出て、
武田軍の前進を防いだ。
戦いは衆寡敵しなかったが、北条方の小田原城内食料
搬入・軍勢集結などの時間を与えた。ことに食糧搬入は、
やがて武田軍に食糧をつまらせ、退陣の止むなきに至ら
せるもとになった。
付近には内出・出口などの地名があり、また戦死者を
葬ったという小墳塚が多数存在していた。
平塚市観光協会
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