釈迦堂ヶ谷は、源頼朝が大倉幕府の東南に頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立した勝長寿院
(大御堂)があった大御堂ヶ谷(おおみどうがやつ)の更に東側にある。
元仁元 (1224) 年、三代執権北条泰時が父義時の菩提を弔うため、この谷戸に釈迦堂を建立
した為にこの地名がついた。地元の人は「しゃかんど」と呼んでいる。
谷戸の奥の切通しを釈迦堂口切通しという。これは大倉幕府、杉本城(杉本寺)と名越、
三浦方面を結ぶ重要な道であり、特に北条氏と覇を競っていた御家人三浦氏にとって、
軍事的要衝であった。父義時の菩提を弔うという大義名分によって、これを分断する場所に
堂を建てたのは泰時の深謀遠慮であったのであろうか。宝治元 (1247) 年6月5日、
五代執権北条時頼の時、安達泰盛の軍勢に攻められ、三浦泰村一族は自刃、三浦氏は滅亡した
(宝治合戦)。
現在は通行止め(土砂崩れの危険)。
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