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勝長寿院舊蹟
院ハ文治元年源頼朝ノ先考義朝ヲ祀ランガ爲ニ
草創スル所一ニ南御堂又大御堂ト言フ
此ノ地ヲ大御堂ケ谷ト言フハ是ガ為ナリ
實朝及ビ政子モ亦此ノ地ニ葬ラレタリト傳ヘラルレドモ
其ノ墓今ハ扇ケ谷壽福寺ニ在リ
大正六年三月建之 鎌倉町青年會
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源頼朝が父 左馬頭義朝の菩提を弔うため建立した、阿弥陀山勝長寿院の旧蹟である。
義朝は平治の乱の敗戦後、東国に下る途中、知多半島の内海で長田忠致の叛逆により
殺された。頼朝は義朝追悼の廟を建てることを後白河法皇に願い出たところ、法皇は
義朝の首を探しだして鎌田政清の首とともに鎌倉に送ったという。頼朝は父の首を
稲瀬川
まで迎え出て受け取り、南御堂に葬った。
源頼朝の墓も
法華堂
に遷される前にはここにあったと思われる。
源実朝
が公暁に殺された際、
首
が無かったので、秦公氏が生前賜った毛髪を遺体とともにここに埋葬した。
北条政子は、1222(貞応元)年7月に境内奥に邸宅を建てて移り住んだ。
実質的な権力者、尼将軍の住居を「御堂の御所」と呼んだと伝わる。政子の火葬も
この地で行われたようだが、宅地造成により、これら貴重な歴史遺跡は大きく破壊
されてしまったのは残念なことである。
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