治承4(1180)年10月、源頼朝はここの屋敷に入り、11月には侍所を設置し、1184年には公文所
(のちの政所) 、問注所を置き、さらに1185年には平家を滅亡へと追い込んだ。 建久3(1192)
年7月12日源頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉幕府が正式のものとなった。
現在の清泉女学院の周辺200m四方が大倉幕府の跡である。大蔵幕府、頼朝屋敷ともいわれ、
四面門を設けて門外の地を東御門(みかど)、西御門、南御門等と称した。東御門、西御門の跡
にもその石碑が建っているので、周囲をまわると そのおおよその規模が類推できる。
嘉禄元(1225)年7月宇都宮辻子に幕府を遷すまでの間、ここが武家政治の中心であった。
鎌倉や今日はかしこの屋敷守 一茶
今ヲ距ル七百三十七年ノ昔
治承四年源頼朝邸ヲ此ノ地ニ營ミ後
覇權ヲ握ルニ及ビテ政ヲ此ノ邸中ニ聴ク
所謂大蔵幕府是ナリ
爾来頼家 實朝ヲ経テ嘉禄元年政子薨ジ
幕府ノ宇津宮辻ニ遷レルマデ此ノ地ガ覇府ノ
中心タリシコト實ニ四十六年間ナリ
大正六年三月建之 鎌倉町青年會
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