鎌倉時代
アクセス?
鎌倉 LINK
鎌倉花暦
Area 滑川
Area 鎌倉
HOME NAVI
江ノ電沿線
大船・鎌倉山
北鎌倉・源氏山
若宮大路・小町通り
大町・材木座
二階堂・金沢街道
西御門・二階堂
浄明寺・十二所・朝比奈
二階堂・金沢街道 グルメ&喫茶
逗 子
横浜・金沢区
Area  西御門・二階堂
参道
横浜国大附属小中学校
鎌倉時代前期には三浦氏の邸宅があり、末期には闘鶏場があり鳥合原 と呼ばれたと伝わる。
筋 替 橋
道が折れ曲がる箇所に斜めに架かっていたのが名の由来。現在は暗渠である。
西 御 門
大蔵幕府の西側の門一帯のこと。現在の地名は東御門を含む地域となった。
太平寺跡、報恩寺跡、保寿院跡や里見ク旧居がある。蛇ヶ谷ともいわれる。
来 迎 寺
西御門に唯一残る鎌倉時代の寺。時宗。満光山。
八雲神社
来迎寺のわき。素戔嗚尊を祀る。
太平寺跡
尼五山第一。のちの高松寺。
里見ク旧居
里見ク旧居。石川邸。
源 頼朝の墓
鶴岡八幡宮の東方300mの大倉山の中腹に五輪塔 近くに三浦一族、大江広元の墓
大倉幕府跡
清泉小学校の角には大倉幕府跡の碑が建つ。源頼朝はここに鎌倉幕府を置いた。
白旗神社(法華堂跡)
源 頼朝の持仏堂があり、のち廟所となった。三浦氏が宝治の合戦で一族郎党 五百余人が自刃した。
大江広元、島津忠久の墓
源 頼朝の墓の右手山腹。大江広元は鎌倉幕府の初代公文所(のちの政所)別当。
伝 北条義時の墓 広元の墓の右手山腹。かつて細い道があり登ったことがあったが 現在は藪に覆われ道が見つからない。
東 御 門
大蔵幕府の東側の門一帯のこと。現在の地名は西御門となった。 村上邸 ほか閑静な屋敷街。
Khaju Art Space 貸しスペース  LINK OFFICIAL  二階堂57-1 0467-23-3663
荏柄天神
1104(長治元)年、創建 開幕後は幕府の鬼門として隆盛。
アトリエ・キカ 二階堂91 0467-24-7025
鎌 倉 宮
大塔宮護良親王を祀る。1869(明治2)年、明治天皇が創建。
覚 園 寺
北条義時が1218(建保6)年、大倉薬師堂を建立。北条貞時が1296(永仁4)年再建。
永福寺跡
源 頼朝が1192(建久3)年、建立 中尊寺、毛越寺を模して二階堂が造られた大寺院であった。
理智光寺跡
二階堂川を渡ったところ。開山は願行上人。五峰山理智光寺址の碑が建つ。
護良親王墓
護良親王の墓、永福寺跡の近く二階堂川を渡った理智光寺跡にある。
永安寺跡
関東管領 足利氏満 が開基。氏満の孫持氏が1439(永享11)年、ここで自刃した。現在、植政造園。
瑞 泉 寺
紅葉ガ谷の奥 花の寺として有名。  スイセンの名所
夢窓疎石作の庭園。嘉暦2(1327)年、二階堂道蘊が夢窓疎石を招いて開いた禅刹。
土鈴の店
瑞泉寺門前の土鈴専門店。二階堂716-4 0467-24-3008
関取場跡
後北条氏はここに関所を設け、通行税をとって荏柄天神の修復に当てたと伝わる。
大 御 堂 橋
滑川 に架かる橋。勝長寿院(大御堂)に向かう。
文覚上人屋敷跡
伊豆流罪中の源頼朝に平家追討を勧めたと伝わる文覚上人の屋敷跡に碑が建つ。
勝長寿院(大御堂)跡
源頼朝が父 左馬頭義朝の菩提を弔うため建立した、勝長寿院の旧蹟である。
歌 の 橋
歌の秀逸によって謀反の罪を赦された故事による。  鎌倉十橋 のひとつ。
杉 本 寺
鎌倉最古の寺院。734(天平6)年、行基が自刻の十一面観音を安置して開山。
谷合四か村 十二所・浄明寺・二階堂・西御門を合わせて、「谷合(やつや)四か村」と 呼ばれていた。
海水浴情報
サーフィン
鉄 道
花 暦
図書館
動物園
釣 り
さくら
花 火
紅 葉
三浦半島
三 浦
横須賀
葉 山
逗 子
横 浜
神奈川県
HOME NAVI

 地図