奈良時代創建の真言宗大覚寺派の寺。山号は龍護山。 1185(文治元)年、
源義経
が兄
頼朝
に鎌倉入りを拒まれた時、この寺に逗留した。
その際、大江広元に心中を書き送ったのが「腰越状」である。
この案文が残っている。義経は奥州衣川で亡くなり、その首実検を満福寺で
した
和田義盛
が涙したという。 腰越2-4-8 0467-31-3612
義経宿陣之趾
文治元年(皇紀一八四五)五月源義経朝敵ヲ平ラゲ 降将前内府平宗盛ヲ捕虜トシテ相具シ凱旋セシニ
頼朝ノ不審ヲ蒙リ鎌倉ニ入ルコトヲ許サレス 腰越ノ驛ニ滞在シ鬱憤ノ余
因幡前司大江廣元ニ付シテ一通ノ歎状ヲ呈セシコト東鑑ニ見ユ 世ニ言フ腰越状ハ即チコレニシテ
其ノ下書ト傳ヘラルルモノ満福寺ニ存ス
昭和十六年三月建 鎌倉市青年團
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