宿屋左衛門入道光則の邸跡。
日蓮聖人は文応元(1260)年、立正安国論を、寺社奉行の宿屋光則を介して、前執権、
北条時頼に上呈した(参道に「日蓮聖人立正安国論進献霊跡」の碑が建つ」)。
文永8(1271)年、龍口法難、佐渡流罪にあっては、弾圧は門下に及び、禁獄、流罪、所領没収
等に処せられた。日朗上人はこの裏山の土牢に幽閉された。
「日蓮は明日佐渡の国へ負かるなり。今夜のさむきに付ても、ろうのうちのありさま、
思いやられていたわしく候へ。乃至 法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども
心はよまず。 心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。」
土籠御書
宿谷左衛門尉光則ハ北條時頼ノ近臣ナリ
文應元年七月十六日日蓮聖人立正安國論ヲ時頼ニ
上ラント欲シ光則ヲ長谷ノ邸ニ訪ヒ縷々其ノ趣旨ヲ
説キ之ヲ手交ス
聖人龍口法難ノ時最愛ノ弟子日朗ノ囚ヘラレタルハ
邸後山腹ノ土牢ニシテ
億萬斯年師考ノ哀話ヲ刻ス
光則深ク聖人ニ服シ遂ニ邸ヲ寄セテ寺ヲ創ム
實ニ此ノ光則寺ナリ
過グル人其レ襟ヲ正シテ當時ヲ追懐セヨヤ
昭和十五年三月建
鎌倉市青年團
安国論御勘由来
日蓮世間の体を見て粗一切経を勘うるに御起請験無く還って凶悪を増長するの由
道理文証之を得了んぬ、終に止むこと無く勘文一通を造り作して其の名を立正
安国論と号す、文応元年七月十六日屋戸野入道に付けて古最明寺入道に奏進申し
了んぬ此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり
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