巨福路、巨副呂、小袋坂とも書く。
現在でも巨福呂坂から北西1.5kmの辺りに小袋谷の地名が残るが、昔は山ノ内の谷戸も含めて
小袋谷といった。
嘉禎元(1235)年12月20日頃四代将軍九条(藤原)頼経が疱瘡の病にかかったので
(3 若宮大路幕府跡の項参照)、病気治癒の祈祷のため、四角四境祭を行った。四角祭は幕府の艮、
巽、坤、乾の四隅で行い、四境祭は当時の鎌倉境界、小袋坂、小壺、六浦、固瀬河で行ったとある。
その後の仁治元(1240)年、泰時が巨福呂坂の建設を指示した記録が残る。古道は八幡宮北西参道
から青梅聖天を通って建長寺前へ抜ける道であったが、後、今の経路となった。
口明を小ふくろ坂やほとゝぎす 雅友
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