国史跡。仮粧坂とも書く。平家の大将の首を化粧して首実検したからという説、この辺に
娼家があったからという説、険しい坂が変じたという説、坂の上が商取引が盛んで「気和飛坂」、
木が多いので「木生え坂」などが名の由来とされる。
この切通しは鎌倉防御の要であり、元弘3(1333)年の新田義貞軍は主力を投入した。
応永23(1416)年の上杉禅秀の乱でも主戦場となった。坂の上には正中元(1324)年の正中の変、
元弘元(1331)年の元弘の変で捕らえられた日野俊基の墓や、源頼朝の座像が建つ源氏山公園がある。
氣生坂又ハ形勢坂ニ作ル
此名稱ハ往時平家ノ大将ヲ討取リ
其首ヲ假粧シテ實檢ニ備ヘシニ據リ起ルト言ヒ
又一説ニハ古此坂ノ麓ニ遊里アリシニ據リ
此名ヲ負フト相傳フルモ東鑑ニハ其名見エズ
此坂ハ所謂鎌倉七口ノ一ニシテ
鎌倉攻防ノ要路ニ當リ
元弘三年(皇紀一九九三)五月新田義貞軍ノ
鎌倉討入リ以来屡々戰場トナレル所ナリ
昭和十五年三月建
鎌倉町青年團
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