日蓮聖人は松葉ヶ谷の草庵に住まわれ、大町、小町の辻に立って説法をし布教を図られたと思われる。
鎌倉時代、商業に対しての認識が未成熟であったことに加え、軍事要塞都市の必要性から、商業は、
大町、殻町(米町)、魚町、大蔵辻、武蔵大路など限られた地域でのみ許されていた。なかでも
大町は鎌倉の商業の中心地であったのでこのように呼ばれた。
大町は、名越、傘町、松殿、松中、中座、米町、魚町、辻町、下馬、大町原、塔の辻、向原等
の町に分かれていた。米町は現在の大町四角から下馬方面、魚町は四角の南方、現在魚町橋の朱色
の橋の架かる周辺。辻町はさらにその南側である。小町と材木座を結ぶ繁華街の中心であった
このあたりで辻説法をされたと伝わるのは首肯できる。本興寺は辻説法に由緒あると伝わる当地に
延元元 (1336)年頃創建された。
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