發迹顯本を仰ぐ 日達
心王真如の一念を澄まして謹み仰ぐに無邊の廣天明二無く依處の大地には聖人肩を竝べず
事相森羅三千の宇内萬年盡未來今此三界の徳主は唯我一人當體蓮華本因妙の教主日蓮大聖人に
まします 然りと雖も元初常恒法性之淵底に大慈大悲を起こし蒙古の砂塵風雲に乗じて閻浮を
益いし十三世紀七難熾盛五濁の砌り名字童形の塵に同いて天照所栖の安房に應延某中衆生宿種
妙開の大益を大門三秘の大法に結して遠源一涓立宗の經題を披き直ちに進んで柳營に入らる
此處鎌倉松葉谷扇台に南面草廬を化作して上首地涌上行の外用を以て立正の方案を構え文應元
年七月十六日得宗最明寺入道時頼に奉進以来多年幕府を暁訓して安國磐石の大計を遊ばざる三
度の高明必然たり されど清和來棄の後繼天命有恐を忘れて御成敗に是非を論ずるの英慮無し
加えて無明の逃逝遥かに遠く士道逢草生きて刷襟に及ばず徒らに九カ年を經るや西戎牒状國難
を致して正く勘文を符契の如し 不軽説相勧持二十行碣の身讀空しからず律宗良観等或は讒詔
或は訴状為に蒙りし焼討ち伊豆流罪等極みを知らず金吾數數の二字眼前に迫る 時に文永八年
晩秋遂に二度目の誠諫に寄せて平左衛門尉頼綱兵數百を率して九月十二日不當拘捕の上私に斬
罪に處せんと謀って夜陰密かに龍ノ口海濱に曳く迹を拂って本有無作内證深秘顯本の期應當に
是に巨瑞に在り 途上若宮小路鶴岡に八幡大菩薩を諫暁長谷より四條金吾兄弟御供して一乗粛
粛腰越の草露を踏む誓状實有り刻は寂たる丑寅昧爽大火球江ノ島の方巽より乾へ光り渡って頸
の座即成道本地の金剛寶座と變じ三即一壽量文底の尊輝人法共に永遠に燦たり 噫ニ念念億劫
の辛勞を拝して感奮自ら至る迦葉阿難にも勝れ天台傳教にも超えて二陣三陣四海へ報恩の廣布
に勵まざらん其の功徳爾し乍ら靈山の佛果に通ぜん歟
龍ノ口法難滿七百年を期に謹んで之を彰し永遠に仰ぎ奉る
1971年正當日 法華講総講頭 ■■■■
岡村天渓 謹書 須藤石材 施工 護国寺
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