国史跡。往時の姿を最も残している切通し。朝夷奈切通しとも書く。鎌倉と六浦を結ぶ道で
初代別当和田義盛の三男、朝比奈三郎義秀が一夜の内に切り開いたという伝説からこの名が
つけられた。六浦は対岸の房総からの塩をはじめとした物資輸送に極めて重要な位置を占める
港であり、六浦と鎌倉を結ぶこの道の重要性は大きかった。
三代執権北条泰時はみずから造道の先頭に立つほど熱心にこの切通しの建設にあたった。
湧き水の水量も多く難工事であったことから朝比奈三郎義秀の伝説が生まれたのであろう。
峠の途中には寿永2(1183)年、梶原景時が上総介千葉広常を討ってその太刀を洗ったと伝わる
梶原太刀洗水
が残り、鎌倉五名水の一つといわれている。この付近の地名に太刀洗いの名が
残っている。
鎌倉七口ノ一ニシテ鎌倉ヨリ六浦へ通ズル要衝ニ當リ
大切通小切通ノ二ツアリ
土俗ニ朝夷奈三郎義秀一夜ノ内ニ切抜タルヲ以テ
其名アリト傳ヘラルルモ
東鑑ニ仁治元年(皇紀一九〇〇)十一月
鎌倉六浦間道路開鑿ノ議定アリ
翌二年四月經營ノ事始アリテ
執權北條泰時其所ニ監臨シ諸人群集シ各土石ヲ運ビシコト
見ユルニ徴シ
此切通ハ即チ其當時ニ於テ開通セシモノト思料セラル
昭和十六年三月建 鎌倉市青年團
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