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Area
浄明寺・十二所
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| 谷合四か村 |
十二所・浄明寺・二階堂・西御門を合わせて、「谷合(やつや)四か村」と
呼ばれていた。 |
| 浄明寺 |
浄妙寺に対しての畏敬の念からか「明」の字を使って
この地域を呼称する。
釈迦堂・犬掛・宅間・
向小路・稲荷小路・御所内・
胡桃谷・西泉水・東泉水
の九つの字がある。
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北条泰時
が1224(元仁元)年、父義時の菩提の為に建立した釈迦堂があったと
いうがその所在は不明。
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大御堂橋を渡ると田楽辻子が
滑川
に沿って残る。途中に田楽師が住んでいたと伝わる。 |
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犬懸ヶ谷に入る道に架かる橋。 |
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杉本寺から犬懸橋を渡り犬懸谷に進むと十字路に
上杉朝宗
邸跡の碑が建つ。 |
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浄明寺郵便局近くに架かる橋。 |
| 鎌倉浄明寺郵便局 |
LINK
OFFICIAL
浄明寺3-2-20 0467-24-9703 |
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茶道宗偏流家元茶室(非公開)。恵観法親王が京都西賀茂に建てた別荘を移築したもの。 |
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宅間ヶ谷に入る道に架かる橋。旧華頂宮邸にちなんで名がつけられたという。 |
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宅間ヶ谷にある古刹。竹の寺として有名。裏山に足利一族のやぐらが建つ。 |
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宅間ヶ谷の華頂宮邸跡。報国寺からやや谷戸の奥に入る。華麗な洋館。 |
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鎌倉五山 5位。銅葺屋根の本堂。
足利尊氏の父、
足利貞氏
の墓(伝)が残る。 |
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山号は雲谷山。足利尊氏の兄、
高義
(延福寺殿)の菩提寺。高義の母、契忍禅尼が開基。浄妙寺裏手。 |
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熊野神社近く。開基は
足利直義
。直義の旧邸であったと思われる。現在は石窯ガーデンテラスが建つ。 |
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浄妙寺西北の山腹にある。浄妙寺の鎮守。応永、永正の頃の再建。明王院が別当の時代もあった。 |
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青砥藤綱邸跡に入る道に架かる橋。 |
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鎌倉幕府執権に仕えた青砥左衛門尉藤綱は、銭十文を落とした伝説で有名。
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足利公方邸近くに架かる橋。 |
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足利幕府
が東国支配のために置いた
鎌倉府
の御所跡。 |
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西泉水の谷戸に入る道に架かる橋。この付近の流れの最南端。 |
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金沢街道に架かる橋。 |
| 十 二 所 |
鑢ヶ谷、稲荷小路、宇佐小路、二ツ橋、明石、積善などの字がある。朝比奈峠に至る。 |
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明王院参道正面に架かる橋。 |
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| 梶原景時
邸があった谷戸は明王院の西側の谷戸である。 |
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| 鎌倉幕府4代将軍
藤原頼経
が建立。茅葺きの本堂。サクラ、ツツジの名所。 |
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金沢街道に架かる橋。逗子方面との三叉路近く。 |
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大江広元
は鎌倉幕府の初代公文所(のちの政所)長官。邸宅跡に碑が建つ。 |
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1212(建暦2)年、
源実朝
が父頼朝の菩提を弔うため建立。新御堂と呼ばれた。 |
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光触寺門前旧道の浄明寺寄りに架かる橋。 |
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| 1279(弘安2)年 建立の時宗の寺。塩嘗地蔵で有名。サルビアの花が美しい。
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光触寺門前旧道の朝比奈寄りに架かる橋。 |
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| 1278(弘安元)年、建立。熊野十二所権現社として光触寺境内にあったがここに移された。
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| 滑川の上流。この川と太刀洗川が合流して滑川になる。川沿いに登ると天園への道となる。
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| 滑川の上流。この川と吉沢川が合流して滑川になる。朝比奈峠は湧き水の多いところである。
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| 梶原景時
が千葉上総介広常を暗殺したとき刀を洗ったと伝わる。 |
| 千葉広常(上総介)邸跡 |
三郎の滝上
に開けたところがあり千葉氏邸宅跡と思われる。 |
| 十二所果樹園 |
梅、栗の果樹園 十二所七曲 0467-23-6621 |
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鎌倉と六浦を結び、房総方面への交通の要衝。和田義盛の子、朝比奈義秀が開いた。
鎌倉七口のうち往時の面影を最もよく残している。 |
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朝比奈切通しの鎮守として、熊野三社大明神を勧進したと伝わる。後ろは権現山。 |