市指定史跡
欠乏所跡
昭和五十一年五月二十七日指定 史跡
嘉永七年(安政元年一八五四年)三月に締結された日米和親条約により、
開港場となった下田では薪・水・食料・石炭など欠乏品を入港してくる
外国船に供給することになった。その上、「必要な品物その地相叶うべき事は、
双方談判の上、取りきめ候事」(第六条)とのあいまいな条文があったため、
ペリー艦隊が入港すると貝細工・塗物・瀬戸物・小間物・反物等がここに設け
られた欠乏所で売られた。貿易は認められていなかったが、欠乏品供給の名目
で、事実上の貿易が開始された。なお、石炭は北九州から運ばれてきて、
鵜島の麓に建てられた石炭蔵に納められていた。
役人の監督の下に、国内の売値よりずっと高値で品物が売られ、日米通貨の
交換比率が米貨を安く評価して交易が行われた。商人達は欠乏品売込人世話役・
欠乏品売込人と組織化されていった。
幕府は欠乏所売上げの三割を税として徴収したので、公には認めなかった
貿易から思わぬ利益を得ることになった。
下田市
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